奨励賞 

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母の墓参

一日のほとんどを家の中で過ごすようになった89歳の母が、故郷へ墓参りに行きたいとしきりに言うようになった。

8人兄弟姉妹のうち母一人となっていた。

夫が行こうと言ってくれたので、秋のある日、母は車で2時間ほどの山間にある生家へ何年振りかで帰った。

私も妹たちと小学生の夏休みや冬休みには、何日間か過ごした懐かしいところだ。

川遊びや、伯母の手ほどきで芽茶を作ったりもした。

従兄の運転で、母より5歳年上の兄嫁である伯母と5人で墓地へ行った。

途中からは人が一人歩ける程の細い登り道となる。夫が母を背負った。

寒がりの母は冬衣装で、小柄とはいえ背負いにくかったことだろう。

夫は万一転んでも、自分が下敷きになるようにと考えていたと、後で話した。

両親と戦死した長兄と弟が眠る墓は、家の方を向いて並んで建ち、晩秋の午後の光を浴びていた。

私もその光を浴びながら、死者を介してのつながりや来し方の人生を思った。

伯母に世話になった恩、夫が母を背負ってくれるありがたさをである。

「クニエが来ました」と言ったという。

わたしは写真を撮ろうと後ろの方にいたので聞こえなかった。夫が聞いていた。

土葬の母にわが名を告げて、母は共に暮らしていた昔日の時間の中にいたことだろう。

この写真は苔むした墓の前に佇む、母と夫の姿である。

私たちはしばしばその墓地の温もった山肌にいた。

母は伯母と並んで傍らの石に腰をおろし何ごとかを語らい、私たちは山なみを眺めた。

遠くに黄葉したイチョウが夕日に染まっていた。

それから2年の後、今から6年前の大晦日に、母はこの世を去った。